一粒の感謝

米の一粒には何人の神様が宿っているか

千羽鶴 

千羽鶴

①折り鶴を数多く糸に通して連ねたもの

②多数の鶴を表した模様

 

千羽鶴には、願いが込められている。

ある人は鶴に平和を願った。ある人は鶴に平癒を願った。ある人は鶴に幸福を願った。

 

私は、中学の修学旅行で広島に赴いたことがある。広島の原爆ドーム前には、たくさんの千羽鶴が納められていた。私も一羽の鶴をそこへ納めた。

人は何かに思いを注ぐことがある。流れ星を見つけたら、願い事を三回唱えよ。初詣の参拝は、一年の感謝と思いを伝えよ。大切な人への贈り物は、素直な気持ちを込めよ。

 

今日は7月7日、七夕である。街中の短冊には、多くの人の思いが込められている。

いろんな色の短冊に、自らの手で込めた願いが浮き上がる。個々の思いは、それぞれの色で輝いている。

 

何を思って、何を感じて、何を願うか。それは何でもいい。

だけれど、何かを願ったその感情は、いつまでも心にしまっておきたい。

末生り

末生り

うらなり

① 時季遅れに、つるの末になる実のこと。小形で味は劣る。

② 顔色が青白くて、弱よわしく見えること

 

私が小さい頃、祖母の庭の畑できゅうりを育てていたことがあった。真夏の炎天下、採れたてのきゅうりに味噌を付けて一本食いした記憶がある。

きゅうりは「自然の水筒」と呼ばれ、みずみずしい果肉が、昔から親しまれてきたそうだ。

 

そんな中、見るからに水分がなく、しわしわのきゅうりが一本あった。処分するには勿体ないが、食べるのは憚られる具合だった。幼い私は、そのしおれた水筒を、食べずに棄てた。見た目が気持ち悪い、おいしそうじゃない、と感じていたに違いないだろう。

 

ただ、その末生りも、以前は青々としていたのだろう。出会った時期が違った。それだけの違いで、そのきゅうりの運命が変わった。

きっと私たちも同じだ。私たちの人生も、出会った時期に左右されている。

一生の親友、命の恩人、運命の人。もしかすると、何気なく昨日駅ですれ違ったあの誰かが、私にとって大切な人になっていたかもしれない。